ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ (Jerez de la Frontera)
旧石器時代から人が住んでおり、3000年前にはタルテソス人が居住していた. 「ヘレス」の名はフェニキア語の「セレス」(Xeres)に由来する. のちにローマ化され「ケレト」(Ceret)と呼ばれたが、ローマ時代の町の場所は不明である. ローマ時代には重要な町アスタ・レギアもあり、その遺跡は現在のヘレス市内にある.
イスラム支配期には「シェリシュ」と呼ばれ、経済的・軍事的に重要な町であった. 7世紀から8世紀には、現在旧市街と呼ばれる場所に都市計画によって市壁や塔、通りが建設された. 1264年、アルフォンソ10世に征服され、カスティーリャ王国の支配下に入った. 「フロンテーラ」とは、国境の意味で、キリスト教国とイスラム教国の「境」だったことに由来する.
15世紀には、農業、商業、ワイン産業によって経済的・文化的に発展した. アメリカ大陸発見とグラナダ征服は、セビリアやカディスの港に近いヘレスに繁栄をもたらした. 17世紀にスペインの衰退が始まったが、ヘレスではシェリー酒が世界的に有名になり多くの酒倉が生まれた.
19世紀始めのナポレオン支配に対するスペイン独立戦争では、フランス軍による占領と略奪を被った. 18世紀から19世紀にかけては産業化が進み、19世紀半ばに港との間に鉄道が敷かれた. 19世紀後半、少数のブルジョア層と労働者との間に対立が生じ、農民暴動が続いた. 政府はアナーキストの秘密結社「黒い手」(La Mano Negra)による犯行という噂を流し、弾圧の口実とした.
ヘレスは現在の形のフラメンコの発祥地とされる. 19世紀から20世紀にはこの町で多くのフラメンコ演奏家が生まれ、歌唱やギターによって名声を博した. 現在ではフラメンコ学校やフラメンコセンターが置かれている.